ゲネプロ卒業と新たなスタートへ
ゲネプロとACRRMからの贈り物
梅雨を忘れるような6月の晴れた朝、郵便が届きました。ゲネプロ、オーストラリアへき地医療学会(ACRRM)からのプログラム修了証です。
離島医療とオーストラリアのGP(General Practitioner)への憧れだけを抱いて、不安ばかりの中、家族みんなで飛び込んだこのプログラム。やり遂げた達成感とともに、終わってしまった寂しさも同等かそれ以上に感じることになりました。修了証を持つ医師は現在日本で30名程度ですが、今後この流れと勢いは間違いなく日本各地や世界へ波及し、さらに大きくなっていくと確信しています。
ゲネプロで受けた教育
かつて医師の少ない僻地や、地方の病院は『リクルート』こそが課題でした。医師のリクルートに成功すれば勝ち組、「地域の医師不足は解消」とされた時代や地域があったかもしれません。しかし、現実はもう少し複雑です。医師がその地域にリテンション(定着)するために行政や住民とどのような関係を築く必要があるのか。日本や世界各地の僻地、私の生まれた島でも重要な課題となっています。
その1つの柱になるものが教育です。ゲネプロの受け売りにはなりますが、へき地の医療者確保に関する世界保健機関(WHO)のガイドラインで示される教育の推奨事項は以下の5点です。
1.へき地出身者を医療従事者教育プログラムに参加させる
2.へき地に教育拠点を置く
3.地域コミュニティーの中で教育する
4.地域の需要に合わせた教育の実施
5.医療従事者が学び続ける環境の促進
この14ヶ月間は、まさにこのような教育の機会を与えてもらいました。私自身のリテンションがどのような形になるのか私もまだ分かりませんが、ゲネプロやオーストラリアへき地医療学会(ACRRM)の方向性にはリテンションし続けたいと思っています。
たくさんの縁に感謝
ここで私のゲネプロ生活が一区切りですので、ブログも一旦お休みさせて頂きます。この14ヶ月間は人生の中でも大きな変化の期間でした。コロナ禍にも関わらず、多くの方々との出会いに恵まれました。関わってくれたすべての方々、その縁に感謝いたします。
最後はマイブームのアインシュタインのお言葉を借りて締めさせてもらいます。笑
"Education is what remains after one has forgotten everything they learned in school."
〜教育とは学校で学んだことをすべて忘れた後に残るものである〜
ゲネプロを卒業となりましたが、ここから残っていく気持ち、繋がり、そんな形にしにくいものを、一生の貴重な宝物にしていこうと思います。そしてこれからも変わらず、人・土地との縁、そして家族を中心とした自分らしい人生を追求し続けていきたいと思います。
こんな気ままなブログを覗いて頂き本当にありがとうございました!
生まれた島で最初の仕事
凱旋診療は突然に・・・
この日、私は久しぶりに地元の離島に渡りました。今回は里帰りではなく、白衣を着た医師としてです。
5月は県外の病院研修を予定していましたが新型コロナウイルスの感染拡大のため、改めて研修プランを見直していました。当初、今頃オーストラリアに滞在している予定だったことを思うと、改めてこの1年半あまりの新型コロナの影響の大きさを痛感します。コロナによる予定変更には慣れてきたそんな中、延岡市医師会長の佐藤信博先生からワクチン接種協力の連絡を頂きました。メディアでも取り上げられていますが、ワクチン接種は全国的に打ち手側の人員不足が問題となっています。延岡市も例外ではありません。もちろん二つ返事で参加させて頂き、この2週間は延岡市医師会を中心とした高齢者や施設の集団接種を手伝っています。そしてこの日は、なんとも感慨深い、ふるさとの離島の全島民接種に医師として参加しました。
The value of a man should be seen in what he gives and not in what he is able to receive.
人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。
-Albert Einstein(アインシュタイン)-
島は人口800人程度、全員が知り合いです。ブースに人が入ってくる度に、「けんちゃん!おかえり~・・・」と思い出話が始まります。しかし、ワクチン接種対象者は約600人、この調子では今日中に終わらない・・・雑談を続けたい気持ちをこらえてひたすら問診とワクチン接種を行います。生まれた時から私を知っている人ばかりなので、なかには私をみて「こんなに立派になって・・・」と涙してくれる方が何人もいました。故郷に錦を、というと大げさですが、このような形で地域に貢献できたことは一生忘れられません。
またこの日は、妻(看護師)も一緒にワクチン接種の手伝いをさせてもらいました。8年間専業主婦を頑張ってくれた妻の記念すべき看護師復帰です。憎い憎いコロナではありますが、このように住民から必要とされ、とても喜ばれる形で妻の潜在看護師の卒業を後押ししてもらえたのは嬉しい誤算でした。
冒頭のアインシュタインの言葉は、今の医療提供者への言葉のように感じます。医師免許や看護師免許、薬剤師免許、そのほか医療や行政のスキル。まさに今、医療を必要としている多くの人に何かを与えて価値を出す時です。
ここ延岡市は、医師会、薬剤師会、看護師、行政、地域住民が一体となってワクチン接種をはじめ、地域医療に向き合っています。まだ数ヶ月の延岡市民生活ですが、『医療資源は限りあり、脆弱である』という前提のもと、『みんなで守っていく!』という覚悟を随所に感じることができます。
ワクチン接種後にもう一仕事
ワクチン接種後は島民が次から次へと、実家にお礼に来てくれました。それだけで十分嬉しいのですが、「注射おつかれさまー!いっぱい食べて体に気を付けてね!」と本マグロやアオリイカ、カジキに獲れたてのイワシ300匹、、、とても食べきれないような差し入れを頂きました。
ただ、、、
ワクチンを打つよりも、イワシを300匹捌くことの方が医師にとっては大変だという事は、島民にはあまり知られてないようです。メディアにはワクチン接種の大変さだけでなく、その辺まできちんと報道してほしいものです。笑
ふるさとで行うワクチン接種、魚捌きは今までに感じたことのない充実感を私にくれました。
また、今回の活動を通じて、改めて自分が延岡や地域住民に与えるものを最大化するにはどうすべきか、考える良い機会をもらいました。
飯塚病院 パート②
飯塚病院 連携医療・緩和ケア科
前回に引き続き飯塚病院の訪問記録になります。今回は連携医療・緩和ケア科です。私の主観ですが、日本一アグレッシブで、先進的で、活気ある緩和ケア科です。
現在、飯塚病院連携医療・緩和ケア科で活躍されている石上先生は熊本赤十字病院救急科時代の同期になります。共に熊本地震で被災し、共に災害医療を行ったとても優秀な救急医ですが、私に緩和ケアの魅力を教えてくれた大切な友人でもあります。久しぶりの再会で、さらにパワーアップした姿を見ることができ刺激になりました。
またこの日は鹿児島県立大島病院の山端先生も見学に来られていました。緩和ケアの必要性をひしひしと感じている救急医3人、なんだか嬉しくて一緒に記念撮影をさせてもらいました。
飯塚病院の緩和ケア医の仕事
みなさんは緩和ケアという分野にどんな印象を持っていますか?
末期癌患者を麻薬、鎮静剤を使って看取る医療?
治療の手段がなく主治医から見放された人への医療?
私も「救急×緩和ケアセミナー」に初めて参加した2019年まではそんなイメージでした。恥ずかしながら、それまでは救急と緩和は真逆の位置にある診療科だと思っていました。前回の記事でも触れましたが、救急/集中治療や緩和ケアは、循環器や消化器などのように臓器別に分類されない、病期(時間軸)をみる貴重な診療科になります。外傷だろうが、心疾患だろうが、精神疾患だろうが突然悪くなった方は救急医が力を発揮できる(しなければならない)患者さんです。これは緩和ケア医も同様で癌だろうが、心不全だろうが、認知症だろうが人生の終末期を迎えている方は緩和ケア医がマネジメントできる患者さんです。急性期/終末期の時間軸が違うだけで、実は非常に親和性が高く、同一のマインドを持つ分野になります。
緩和ケア科へのコンサルトは幅広く、飯塚病院では救急車で来院した患者さんを救急医が初療し、救急外来で緩和ケア医にコンサルト、というような場面も多くみられます。 ホスピス的な緩和ケアをイメージしている医師からすると異様な光景にもみえます。この日は、急性動脈閉塞で手術適応とはならなかった90代の患者さんのコンサルトが救急外来からありました。また、集中治療チームからは重症疾患で気管挿管中の患者さんの今後の治療(decision making)の相談がありカンファレンスに同席しました。
この高齢化社会の中で『人生の終末期』と分類される方は決して癌患者だけでなく、心不全や誤嚥性肺炎、認知症やその他非癌の患者さんの割合が非常に大きくなっています。そして、非癌の患者さんは終末期であっても終末期と認知されないことも多くあり、患者本人や家族、時には医療者までも適切な対応や受け入れができないことがあります。
だから、いま、緩和ケアなのでしょう。
シミュレーション教育、実践教育
それはそれは手厚い指導体制がとても印象的でした。毎週、zoomを用いた医療面談シミュレーションがあり、Bad Newsの伝え方などをまずは模擬患者さんで勉強します。実際に行った自分の説明を録画された動画で確認しながら多数の指導医からフィードバックを受けて実臨床に活かします。
実際の患者さんへの病状説明ももちろん行いますが、その前後には必ずスタッフから説明内容のチェックを受けます。単なる経験則での指導ではなく、データやスキルを用いたフィードバックがふんだんに織り交ぜられています。
患者さんへの説明や対応は今でこそ系統的なスキルが存在しますが、一昔前はなかなか教わる機会がなかったもので、しかも大抵の医師が『自分は苦手ではない』と思い込んでいる節のある非常に危うい分野だと感じています。「プライベートの時間を削ってでも、先輩を見て学べ」というような、悪しき風習が残る病院もまだあるのではないでしょうか。飯塚病院の教育システムを見る中で、「見て学べ」を実践すべきなのは、教育を受ける側ではなく、教育を提供する側だと痛感しました。教育体制や、専攻医募集に苦慮している病院はぜひ一度見学に行かれることをおすすめします。
つたない文章で、魅力を伝えきれたか不安ですので、興味がある方はぜひページをのぞいてみてください。
連携医療・緩和ケア科 | 飯塚病院 (renkei-kanwa.com)
見学や研修も常時受け入れているようです。終末期ケア医としての能力だけでなく、総合的な『医師力』を間違いなく上げることができると思います。(私もまたゆっくり勉強に行きたい・・・)
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とりあえず、熱の冷めぬうちに私はこの本を読みなおしました。
飯塚病院 パート①
株式会社麻生飯塚病院
今回は飯塚病院を訪問してきました。
特に説明は不要かもしれませんが、福岡県飯塚市に位置する病床1048床、100年の歴史を持つ有名老舗病院です。また、全国から多くの研修医・専攻医が集まる超人気研修病院でもあります。短い時間ではありましたが実際に飯塚病院に入ってみて、外からでは感じることができなかった多くの刺激をもらいました。とりとめがなくなりそうですが、徒然なるままに感じたことを書いていこうと思います。
組織運営はマラソンではなく短距離リレー!
とても規模の大きな病院ですので医師数も非常に多いです。中でも目を引くのが、後期研修医・専攻医と呼ばれるような若手医師の割合が高いことです。一人ひとりがユニークで希望に溢れた目標を持ち、全国から学びを求めて飯塚に集まります。そして数年スパンで全力疾走して、しっかり次の世代にバトンを繋ぎながら、次の場所へ飛び立つようです。絶えず新しく強い風が吹き、組織が発展している印象を受けました。
マラソンではなく短距離走リレー、野球で言えばショートスターターからの継投で試合をしているイメージです。
宮崎県や延岡市の出身者も多く在籍していましたが、地元に帰ってくるという選択肢は、自分の夢や目標にフィットする勤務・学習環境がなければなかなか難しいようでした。地元に帰った私としては非常に胸の痛いご意見ですが、これから乗り越えるべき課題のようです。
『責任感』『使命感』だけを燃料として医療に尽力する時代は少し古くなっているのかもしれません。(現在の新型コロナ診療もそのような面があるかもしれませんが。。。)
『教育』『自己実現』をうまく取り入れ、より広くマクロな視点で「最大多数の最大幸福」を実現できる環境が医療従事者にとっても地域住民にとっても望まれるものなのでしょう。
大好きな後輩にも久しぶりに会えました。とても大きく成長されていました。(色んな意味で)
ゲネプロ卒業生、以前の職場の同僚、研修会などでお会いした先生など多くの再会もありました。御縁に感謝です。
パズルのピースではなく、色のグラデーションで診療をデザインする
大前提の話からになりますが、やはり飯塚病院に根付いた総合診療、ジェネラリズムが良い病院の根底を支えています。心不全は循環器科、骨折は整形外科、末期癌は緩和ケア、などのように疾患で区分する診療体制はどうしてもコンフリクトや医療従事者の疲弊を生じることが多く、救急の現場でもよくぶつかる課題です。そのような問題の少ない診療体制。何がそれを可能にしているかというとやはり『総合診療医』という基礎の広さと、患者さんの時間軸にそった診療体制です。
・救急/集中治療に強い『総合診療医』 →超急性期
・外来/慢性期管理に強い『総合診療医』 →慢性期
・緩和ケアに強い『総合診療医』 →緩和・終末期
というように、総合診療というベースのうえに患者さんの病期(時間軸)に合わせて診療科が存在しています。これにはブラックジャックや、神の手を持つスペシャリストを育成して医療のキャンパスを埋めるような『パズル形式』の医療システム構築では難しく、救急・集中治療の色や慢性期管理、緩和ケアの色を混ぜ合わせながら医療を描いていく『グラデーション形式』の診療デザインです。
疾患にかかわらず、人は人生において必ず急性期→慢性期→終末期をたどります。そのような意味でも患者さんや家族に寄り添った、とても合理的な診療科の役割分担だと感じました。
飯塚病院が楽しすぎたせいで、本当にとりとめのない文章になってきてしまいました。
次回は超アグレッシブで先進的な、飯塚病院:連携医療・緩和ケア科について書こうと思います。
地域医療に最も重要なピースとは ~済生会日向病院~
今回は2週間にわたり済生会日向病院にお邪魔し在宅医療を行いました。
院内の医師、看護師だけでなく、ICTを活用して院外の介護スタッフ、地域全体との情報共有を円滑に行っており、患者さんや家族はもちろんのこと、医療提供者側の満足度も非常に高くなってるのがとても印象的でした。重篤な在宅患者さんも多いですが、随所に患者さんやスタッフの笑顔が垣間見れる素敵な職場環境でした。
『家族の在宅医療はここでお願いしたい』と素直に思える病院です。
多く存在する上五島との共通点、そして相違点
この済生会日向病院は今年3月まで勤務していた上五島病院と共通点の多い病院です。病床数は199床(上五島病院186床)で地域包括ケア病床を有します。また日向病院という名前ではありますが、所在地は門川町になり人口約17000人の医療圏です。これまた新上五島町の人口約18000人と非常に似た規模となっています。また訪問看護ステーションを併設しているのも共通点の一つです。
しかし病床や人口では測れない、地域に合った医療の形が存在します。
上五島病院は診療科目、医師数が日向済生会病院より多く、非常勤・応援医まで含めるとかなりの差になりますが、幅広い疾患への対応が求められる離島という性質から妥当な違いだと感じます。
一方、済生会日向病院は看護師、コメディカルスタッフが非常に充実しており、より診療分野や疾患を絞ったケアが可能となっています。在宅医療についても同様です。
地域医療に最も重要なピース
現在、国をあげて進んでいる地域医療構想は間違いなく必要な政策であり、病床のダウンサイジング、機能調整は膨らみ続ける日本の医療費を考えても急を要する課題です。ここ宮崎県は特に病床数、介護施設が驚く程多く存在し、全国と比較しても明らかに将来余剰となることが予想され、この政策の影響を良くも悪くも大きく受ける地域です。
よく『人数』を基準として病床数や機能、必要医師数などリソースが計算される事が多いですが、地域の実情は人数だけでは測れないことが多く(特に離島や山間部など)、また昨今の新型コロナ等の有事も踏まえて再編されるべきであり難しい問題です。
当然の事ではありますが五島列島、延岡市や東京都、大阪府など離れた地域でも日本中が地域医療構想に従い、同じ方向に進むダイナミックさは素晴らしいものです。しかし医療従事者や、特に地域住民の理解や認識の地域差はまだかなり存在するように思えます。
数字で見るだけの地域医療は五感を使って見る地域医療と明確に違いました。そうであるからこそ、その地域の医療従事者、住民の当事者意識が地域医療の最も重要なピースとなるのだと思います。
そのような中でこの済生会日向病院や上五島病院は病院、医療従事者、地域、患者や家族それぞれが当事者意識を持ちながら、時代の流れに歩調を合わせる事ができている良いモデルケースであるように思えました。
済生会病院訪問中は、ちょうど日向地区でCOVID-19のクラスターが発生した時期であり、入院管理や感染対策など慌ただしい中でしたがスタッフ、事務の方には親切に受け入れて頂きました。
病院を回る度に、地域を支える病院スタッフの優しさや情熱に改めて触れることができており、診療の勉強に限らない気づきや成長の機会を与えてもらっています。
下甑島へ、コールメディカルクリニック福岡から医師派遣
「今年度から下甑島に毎月応援に行くことになりましたよ。」
メールにさらっと書かれた一文に鳥肌がたちました。送り主はコールメディカルクリニック福岡の理事長、岩野歩先生です。
北九州や沖縄浦添で救急医として活躍され、その後は在宅医療医として福岡県宗像市で開業、『究極の当事者意識』をもった地域医療を実践されています。ゲネプロのワークショップで講演を聞き、一瞬でその情熱に引き込まれました。
今回岩野先生が診療応援に行ったのは下甑島という鹿児島の離島です。名前を聞いてぴんとこない方も多いと思いますが、ドクターコトーのモデルとなった瀬戸上健二郎先生がいらっしゃた島といえば分かりやすいでしょうか。
瀬戸上先生が退職されたあと、現在は私も所属していたゲネプロの代表をつとめる斎藤学先生、ゲネプロ卒業生の室原先生が着任され、島の医療を支えています。病気だけではなく人、そして離島という特別な地域もひっくるめた医療を展開されています。
そんな離島医療の聖地というような場所へ、遠く福岡県から、在宅病院のコールメディカルクリニックの医師が、毎月応援に行くというのです。
多くの医師が勤務する大学病院からの診療応援でさえも、地方では引き上げが目立つこのご時世に、離島という究極の医師力が試される場所へ、一民間病院から医師派遣ができるとは…。
医師としての実力はもちろんのこと、何よりも熱い気持ちと仲間がいなければ成り立たない、新しい地域医療の形です。
私達ゲネプロ卒業生がめざすべき、ひとつの医師像
この定期的な診療応援は、私の中ではかなり心が震える出来事で
『西武の源田が怪我したので、特別にソフトバンクの今宮が3試合だけ西武でショート守りますよ』
みたいな楽しい衝撃です。
大切なポイントは
①今宮がDHではなくショートでサポートすること。
(住民に不利益がないよう、広い診療範囲をしっかりと穴埋めする)
②サポートに行くのが今宮であること。
(サポートする医療者の実力が担保されている)
③今宮が抜けてもソフトバンクには充実した控えがいる事
(送り出した医療機関のバックアップ体制もしっかりとしている)
余計分かりづらくなっていたら申し訳ありません。
守備範囲の広い本物の総合診療医が、最も効率的に僻地医療に貢献できる形ではないでしょうか。
離島の全ての医療を一手に引き受ける事ができるからこそ成立する形。果たしてそんな医師が日本に何人いるでしょうか。
私たちゲネプロ卒業生の目指すべき医師像のひとつです。
心肺蘇生の出張講習会
さすらいの医師生活
3月末に延岡市に引越し、早くも1か月が過ぎようとしています。私は今のところなんとか順調に延岡市でさすらいの医師を続けています。まだまだCOVID-19は猛威をふるっていますが、こんなもの好きな(地域医療マニアの)私に対して多数の医療機関からご理解やご協力を頂けていることに本当に感謝しています。
今回は嬉しいご報告になります。
延岡市内の看護師さんから、心肺蘇生・急変対応の講習会の依頼を受け、記念すべき初回の心肺蘇生講習会を行いました。看護師、リハビリスタッフ、事務職員など多数参加頂き、教える方の私も充実した時間を過ごす事ができました。
延岡市の医療パワーアップのためのささやかな活動
私自身とても刺激となったのが、相談を受けた看護師さんの切実な言葉です。若手看護師の方でしたが、急変対応や教育システムを作り病院を更に良くしていきたいと熱い想いをぶつけてくれました。
勤務する病院は看護職員・介護職員ともに不足しており、新人看護師2-3名で夜間の病棟業務を行うことも少なく、危機感をもって自主学習に励まれているようでしたが、COVID-19の流行もあり、勤務調整が難しく講習会に出れなかったり、またそもそも研修や勉強会自体が減少しており、医療への熱い思いを消化しきれずにいるようでした。
そのような中で、こうして出前の蘇生講習を形に出来たことは大きな一歩と確信しています。5月には更に2回の院内急変対応コースを予定しており多数の職員の参加希望を受けています。
追加して、延岡市内の介護施設からも出張講習会の依頼を頂き、延岡市の医療に携わる方々の並々ならぬ学習意欲を肌で実感しています。
大々的なイベントやコースではありませんが、こうやってより良い医療への想いのある方たちがいる場所で、ささやかながらでもその想いに寄り添った活動をする事が、延岡市の医療のパワーアップに繋がると信じて、もう少しだけ走り続けようと思います。