DrIWAの日記

医療や地域や人や趣味について。日々わくわくすることを探しています。日々の記録として書いていきます。

家で亡くなるという選択肢

真夜中の電話

深夜0時過ぎ、携帯が鳴ります。
訪問看護師さんからの電話です。
在宅で診ていた患者さんが息をひきとったとの連絡でした。


それから私は車でお宅へ向かいました。
家に着き、お部屋に入るとベッドで眠るように休まれる患者さんがいました。
ベッドの周りにはご家族が寄り添います。本人も家族も表情は穏やかで優しく、笑みもみられます。そこには病院内のようなモニターやアラーム音はなく、時計の針が1秒を刻む音がしっかりと聞こえます。
1人の命の終わりという非日常が、なんの違和感もなく家族の日常の中に落とし込まれていました。


時間にすると一瞬ではありましたが、私にとっては新鮮な空気感を感じました。いつもは病院という、言ってみれば自分のフィールドで死を受け止めていました。今回は患者さんの日常生活や人生がそのまま存在するご自宅で、生の終わりを受け止めます。

そこに広がる空気をゆっくり吸い込むように2〜3回呼吸をして、私は患者さんの日常に『お邪魔して』死亡確認をしました。

 

 

残された時間で医師は何をするべきか

お看取りを終えた後、家族が安らかな表情の患者さんにかけた言葉は初めて聞くものでした。

「帰ってきてくれてありがとう。」

 

私はその後、ご家族の車で病院まで送ってもらいました。真夜中の沿岸道を走りながら、若い頃のお話や、自宅に帰ってからの様子、お葬式に帰ってくる予定の親族の話などを聞かせてもらいました。穏やかな波音の中で聞くお話は、もちろん私が知らなかったことばかりです。

お仕事の事や奥様のこと、キリスト教を信仰されていたことや帰宅後に牧師さんに会えたこと、病院では面会できなかった(コロナによる面会制限の為)島外のご家族と過ごせたこと、、、

 

 

始めて自宅で死亡確認をして感じたこと

最期の場所や瞬間をどう迎えるかということは、本人の為、もしくはそれ以上に家族の為である気がしています。亡くなったあとも、家族は人生を送ります。大切な1人を失っての人生です。

せめてそれが辛すぎるものにならないように、少しでも前向きに過ごせるものであるように私たちにできることがまだありそうです。

 

病院で叶えられることはごく一部で、ましてや医師や看護師がしてあげれることもさらにそのごくごく一部にすぎません。

 

もちろん、自宅で亡くなれることが最善ということではありません。本人や家族の為にその選択肢が提示できるという事が大切なのだと思います。

 

その思いがあっても叶えられない地域も多くあります。私が生まれ育った島もその一つです。

 

夢は大きいほうが良いのでしょうが、そんな地域を減らす事は、世界平和よりも先に私が叶えたい夢の一つです。

 

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茜色の夕日が綺麗でした。

宮崎では海と夕日のセットはなかなか拝めませんので、こんな景色が日常的に見れるのも五島の良いところです。