秋の天気とメンタルは不安定
死を選ぶ人たちにかける言葉
9月からは上五島病院での勤務が再開し1ヶ月が経過しました。すっかり季節は秋です。
医療職では、患者さんの疾患や症状から季節を感じる事がよくあります。
この1ヶ月は自殺企図の患者さんの対応をする事が多くありました(何故か私が当番の日によく来ます・・・)。メンタル関連の患者さんが増えるのは環境の変化が大きい春の印象でしたが、芸能界での自殺が多く取り上げられる最近のワイドショーやネットニュースの影響もあるのでしょうか、この秋はいつもより多い気がしています。
私はこれまで救急医として多くの自殺患者をみてきました。
助からない症例も多く、残された家族や友人の悲痛な叫びはいつまでも忘れられないものですが、それ以上に辛いのは、救命した患者さんからの「死にたかったのに、なんで助けたの!?」という言葉です。
いまだにこの言葉は、返答に困ってしまいます。
命は大切なもの、
医師は命を救うもの、
そんな言葉は何の解決にもなりません。
ひとまず私は、
「もう一度ゆっくり考える時間を作ってみましょう」
と伝えるようにしています。
もう十分すぎるほど悩んで死を選んだのであろう人にも、ひとまず同じ言葉をかけます。
自宅や病院で家族に囲まれて迎える死も、自殺という形で迎える死も、どちらも自分で(もしくは家族が)悩んだ末に選んだものです。そこに他人である医師や看護師、ワイドショーのコメンテーターがこうあるべきだなどと語るのには違和感を感じてしまいます。
ただ、終末期の患者さんにも自殺を考える人たちにも、一医師としてまた一人間として人生がこうあってほしいという理想は持ち続けたいと思います。
中秋の名月
救急患者の対応が終わり深夜1時頃に帰宅すると、こどもたちを寝かしつけてそのまま寝落ちしていた妻が起きてきました。
お互いすぐには寝れそうになかったので、二人でベランダで月見をしました。前に妻と月見をしたのは大学生の頃だったので、十数年ぶりです。
「いつも子育てで頼らせてもらってすいません。感謝しています。」という言葉は恥ずかしいので、
夏目漱石が(月が綺麗ですね)、というようなニュアンスで、
「大学生の頃より団子が柔らかくてうまい。」と伝えると
「せやろ!?」と短い関西弁とドヤ顔が帰ってきました。妻のメンタルは大丈夫そうと判断しています。
風流な時間でした。