台風10号襲来
10号接近中
九州あたりの皆さんは、台風対策は終わりましたか?
五島地方は9号の被害も癒えぬうちの10号襲来です。
この数日は、
家屋の修復中に屋根から落ちる人、
停電で熱中症になる人、
大雨で流れてきたヘビにかまれる人、
不安や感情が洪水のように氾濫してしまう人などなど、
夏や災害を感じる患者さんが多くなっています。
どうかこの台風前後の被害が最小限で済むことを願っています。
やや不謹慎になるかもしれませんが、新型コロナや自然災害などにヒトが団結して立ち向かっていく一体感は嫌いではありません。
戦争や犯罪などの対策に気を揉むより何十倍も何百倍も、ヒトとして高尚な活動と感じます。
我が家は、防災グッズの整備、窓ガラスの補強などを無事に終えました。
午後はみんなで餃子を作って食べて、早めに就寝予定です。
おうち時間のお供に、ワクワクする本を
おうち時間が増えるので、この数日はこの本を読んでます。
自分がこれまでに見ていた世界の小ささを感じるとともに、無限のワクワク感をもらえます。
よければ、台風や夏休みのおともに読んでみてください。
どうか皆さん、ご無事で!
医師のときめき片付けDays
情報に家畜化される医師生活
仕事にプライベート、身の回りに溢れる情報をどのように整理していますか?
私たち医師にとっても情報整理は非常に重要ですが、かなりストレスフルな問題です。
医療分野では、毎年毎年新しい研究データやトピックが世界中でリリースされ、5年前の常識が現在では常識ではなくなります。最近では新型コロナが良い例で、毎週のように新しい情報が世界を飛び交うので、知識の更新に追われて医師の方が眩暈や吐き気がしそうになります。
10年前、20年前と比べると医療における情報量や、その伝達スピードは何倍、何十倍にもなってきました。しかし、当然ながら医師の脳の容量はそれにあわせて進化はしません。
第4水曜は『Registrars' Lecture』
そんな中、第4水曜日は『Registrars' Lecture』。ゲネプロ同期の医師による勉強会です。
今回は高知県の大井田病院でRGPJ研修を行う、西日本一のnvernoteの使い手、松原先生によるevernoteレクチャーでした。
私は救急医という仕事柄もあり、診療する年齢や病気の幅が広いため情報整理にはいつも苦心していました。一刻一秒を争う状況で、その都度本や電子書籍を検索する時間はありません。これまでの私の情報整理術は、
・疾患や治療・管理ごとの情報をその日のうちにwordでまとめる
・新しい情報があればその都度アップデート
という形で研修医の頃から続けていました。
他にも講演や研修医・コメディカル向けのレクチャー資料はpower pointで保存しています。
この機会にwordをあわせた総数を確認すると1000を越えていました。
難点としては検索が難しいこと、画像やデータの編集が面倒な事ですが、これが当然と思い、もう何年も整理の仕方はアップデートしていませんでした。
evernoteは真新しいツールではなく、実際私もダウンロードし以前は使用していましたが、詳しい活用法を理解しないまま長期間放置となっていました。
今回のレクチャーはevernoteを再活用するいい機会になりました。
・編集のしやすさ
・検索機能
・共有機能
・ローコスト
これらの面でevernoteはとても魅力的です。
このような日進月歩のツールを使わなくなると(使えなくなると)、一気に知識も気持ちも老け込んでいきそうです。医師として、社会的なアンチエイジング、頑張らねば。
この週末は早速、evernoteへ情報の引越しに追われています。
もし、他におすすめのツールがあれば、この引越しが進まないうちに教えてください。笑
全国で地域医療に従事するゲネプロの同期と顔を合わせるのは毎週水曜日のzoom勉強会だけですが、いい刺激であり、良き『同僚』です。
第3水曜日は『G'day Mate』
とうとう私が住む上五島にも新型コロナが上陸しました。
来年度に予定していた海外研修も現時点でどうなるか不明ですが、RGPJ研修の貴重な15カ月間を有効に使って、普段できない勉強や経験を積んでいこうと思います。
貴重な釣りの経験は重ねる事ができていますが、腕前があがったわけではありません。
(私程度のレベルでは)腕や道具ではなく、釣る場所が大切ということを学びました。
第3水曜は英語の日
私が研修しているRGPJ(Rural Generalist Program Japan)では毎週水曜日は約60分のレクチャーがあります。第3水曜日は英語での診療の練習です。
・患者役と医師役での問診・診察
・医師役同士でのディスカッション
の2パターンを練習します。
レッスンでは毎回テーマとなる疾患が決まっており、今回は「喘息(asthma)」です。
放送事故からの出発
「How may I help you today?」 から始まる数分間の英会話診療。
4~5月、レッスンが始まった頃は、私のターンはまさに放送事故かというほどの沈黙でした。英語を上手に操る他の先生たちに申し訳なくてしょうがありませんでしたが、ようやく少しずつ言いたい事を話せるようになってきました。
レッスンでは、ジャスミンがフィードバックをその都度行ってくれます。
ジャスミンはオーストラリア出身の栄養士で現在は琉球大学で長寿の研究をしており、医学用語や、診察での細かなニュアンスなどについても的確なアドバイスをもらえます。
レッスン終了後にはジャスミンと通訳の鶴田さんから個人にフィードバックメールが届くというとても有難い学習環境です。
英語アレルギー克服の為の脱感作療法は継続です。
ACP(人生会議)のその前に
帰省する人が少ない、離島のお盆
いつもより静かなお盆を過ごしています。
高齢の患者さんとの診察室での会話です。
私「お盆に家族は帰ってくるんですか?」
患者A「今年は帰ってこんよ。近所の目もあるし帰ってくるなって言ったわ。まあ、さみしいけどね。」
という方もいれば、
患者B「うちはもう何年も帰ってこんよ。仕事が忙しそうやからね。コロナがあってもなくてもうちはそんな変わらんよ。」
家族の形や繋がりはそれぞれです。大切なこと、優先事項もその人や家族で異なります。
そんな中で考えるACP(アドバンス・ケア・プランニング)です。
【ACP】
将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、患者さんを主体にその家族や近しい人、医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行い患者さんの意思決定を支援するプロセスのこと。(東京都医師会HPより)
「人生会議」という呼び方の方が馴染みやすいでしょうか。
(物議を醸した厚労省のポスターより)
ACPを行うために、まず大切なこと
特に高齢者の場合は数週間、数カ月の間でも身体的にも社会的にも劇的な変化が起こりえます。
中には何か月も家族と会ってない、電話すらしてないという高齢者も珍しくありません。そんな状況でACPが円滑に進むわけもなく、現状を理解して受け入れるまでに相当の時間を要するのが実情です。
夕食を囲んで、3世代、4世代の家族が介して世間話をするような、そんな程度のコミュニケーションがとても恋しく感じます。
また、祖父母の老いていく姿を同居してる立場から見たり、その介護で苦労している両親の姿をみたり、昔の家庭では当たり前だったことですが、今の社会ではそれは介護施設や病院の仕事に変わっています。(社会と家庭の生産性を上げる為に)
この数十年でも世の中は各段に便利になりました。
一方で、気づかぬうちに忙しく働き周り、本当の豊かさを見失わないようにしたいものです。
アドバンス(ACP)のその前に、最低限の家族の繋がりが必要です。言葉を造るとすれば、BCP(ベーシック・ケア・プランニング)でしょうか。
お盆は家族や祖先と会話を
核家族や実家から離れて暮らす世帯が多い現代社会では、お盆、正月、お祭り、その他いろいろな行事は家族が集合する貴重な機会になっているのは確かです。コロナ禍でその機会が失われるデメリットも感じてしまいます。
私は自分や妻の実家に帰ると、かならず仏壇に線香をあげて、先祖に近況報告するようにしています。
その姿を見てか、息子たちは生活の中で『手を合わせた方がよさそうな何か』を見つけたときに必ず立ち止まり手を合わせるようになりました。
私の線香にどれだけの意味があったかは分かりませんが、こんな息子たちの背中をみると嬉しくなります。
息子たちのことなので、「ケーキをたくさん食べれますように!」とか、そんな事を祈ってる気がしてなりませんが、、、今はそれでも良しとします(笑)
長崎の大切な1日
平和について考える日
8月9日は長男の登校日でした。
先週も登校日だったのに回数多いなとくらいしか考えてませんでしたが、帰宅後の長男の話を聞いて8月9日が大切な日である事を思い出しました。
「知ってる?75年前に原爆が長崎に落ちたんだよ」
「11時2分に突然空が光ってね・・・」
「たくさんの人がやけどしてね・・・」
「家族がみんな死んじゃって、1人ぼっちになった人はとてもさみしかったんだって・・・」
詳細に話をしてくれるのは、それだけ心が動かされたからでしょう。
そのうち話しながら涙を浮かべる長男の顔を見て、私ももらい泣きです。今日は特にいい勉強をしてきたようでした。
テレビ番組も長崎は戦争・原爆一色の1日でした。
長男の涙をみていると、
歴史上で1日だけ、世界中の人が大量の涙を流すよりも、
こうして1年に1日、一滴だけでも、長崎県民、日本国民が涙を流し続けることが未来の平和の為には有益な気がしました。
今年のお盆の過ごし方
今年のお盆は実家で線香をあげることが出来なそうです。
生活はもちろん、文化までも形を変えてしまいそうなコロナ禍ですが、しっかりとその日が持つ意味を家族で考えようと思います。
我が家では、ペルセウス座流星群を観ながら過ごそうと計画中です。
星を見ながら祖先を思うお盆も悪くない気がします。
今週末は台風ですが、来週末は晴れますように!
日本の一斉休校について、寝不足の朝に考える。
今日の朝活
昨夜は人生初のオンライン同窓会で夜更かしをしてしまい今朝を迎えました。
不毛な日曜日にならないよう、気合をいれて朝活です。
今日はおもしろそうな文献があり読んでみました。
晴天のもと読書リフレッシュ&英語、医学の勉強。気合が入ります。
こんな日曜日の朝にまだ違和感を感じますが、こんなこともいつか自然な日常になり、オンライン〇〇やもっと画期的な何かが生まれてきたりするのでしょう。そういう意味では悲観的なことばかりでなく、このわくわくする過渡期を生きれることを嬉しくも感じる寝不足の日曜日です。
2020年3月の日本一斉休校は有効だったのか?
「Was school closure effective in mitigating coronavirus disease 2019(COVID-19)? Time series analysis using bayesian inference 」
文献では科学的考察から、
・一斉休校は新型コロナウイルスの発生を減少させなかった。
と結論づけています。
もう遠い過去の記憶のように感じますが、新型コロナウイルスが拡大し始めたときに政府は『一斉休校』というインパクトの大きな一手を打ちました。
それについてワイドショーや巷でも「愚策か否か」という議論がされていましたが、今はもはやそんな事実さえ忘れ去られてしまいそうな状況です。
本当に議論されるべき問題が、正しく議論されるべき時期と方法をもって行われないまま、その場の感情論や雰囲気で世論はまだしも、国の政策までも変わってしまうような社会に少し怖さを感じます。
非常に興味深い内容でした。
そして大切なことはこの結果の解釈です。
これをもって、「こんな愚策を行った政府はやめてしまえ」というのはもちろん誤りです。この結果を、また一斉休校の後も(いろんな方が熟考されながら)次々に行っているコロナ対策・政策をどう評価しまた活かしていくのか。
私はこの一斉休校指示が出たとき、「やりすぎじゃないの?」と思ったのと同時に「これからの感染拡大はやばいんだろうな。日本をあげて頑張っていくんだな。」という危機意識を強く感じたのを覚えています。そういった意識、国民の団結力をつくった意義は大きいと思います。
一斉休校は新型コロナ感染の減少を示しませんでしたが、もしかすると今後の日本にそれ以上に有益な何かをもたらすかもしれませんし、もう一度国民がこの一斉休校をふりかえることでそうなる事を期待したいです。
変化を適切に恐れて、適切に楽しみたい
日本中がコロナで大変なことになっています。
一年前には想像もしなかった混乱が、未知のウイルスによりもたらされました。
正しい情報、正しくない情報、そもそもまだ正しいかも証明できない事、その全てが同じ様な顔をして日常に溢れているのがこの現代です。
数十年前に比べると、様々なリソースを使って私たちはあらゆる情報を得やすくなり、その真偽の判断にも長けてきました。だからこそ、今回の新型コロナのようにそれでも分からない事に直面したときに途方に暮れてしまうのかもしれません。
患者さんがくれた手作り饅頭は、遠く離れた島で暮らす祖母がつくる饅頭と同じ味がしました。
変化が多い時期に思いがけず同じものを見つけると嬉しくなります。
離れて暮らす両親や親族とは、「再開する日までみんな元気でいよう」が合言葉になっています。
「地域医療とは…」
「地域医療とは…」
7月18日にゲネプロのワークショップがオンラインで開催されました。
全国のへき地に散らばる医師たちが参加して、今回は主に整形外科・産婦人科・麻酔科・在宅医療についての学習でした。会の終わりにはオンラインでの懇親会もあり、それぞれの現状や今後についてお酒も交えながら語らうなどとても充実したものになりました。
その中で各医師に投げかけられた質問。
一言でいうと、「地域医療とは…?」
幼い頃から憧れてきた地域医療ですが、正直なところ、歳を重ねて勉強や経験を重ねていくほどその実態が何なのかよくわからなくなってきていました。
研修医を終える頃の当時、自分が想像する「地域医療」に一番近そうだった救急医を選択しました。もちろん地域医療を感じることもたくさんありましたが、地域医療とは言えない救急医療もたくさん目にしました。
場所もそうです。へき地で行う医療に地域医療を感じないこともあれば、都市部で地域医療を感じることもありました。
そんな違和感は歳を重ねる毎に増えていきましたが、明確な答えは出ないままでした。
そんな私にとってこの質問は、まさに核心をつくものでした。
みんなでそれぞれの意見や思いを語り合う中でたくさんの考えを聞くことができました。答えは一つではないと思いますが、その中で私が一番しっくりきたものが、
「究極の当事者意識で行う医療」という答えでした。
究極の当事者意識から生まれてくるもの
患者、地域住民のことをとことん考え尽くして、
医療提供者がその地域の一住民として『究極の当事者意識』で行う医療。
とてもしっくりきます。
私がこれまで漠然と追いかけていた地域医療はただの言葉だったのかもしれません。
私は救急医療は地域医療だと思っていましたが、救急医に地域のニーズを考える意識がなければそれは地域医療ではありません。
総合診療も内科も外科もすべての科がそうであり、逆にどんな診療科であっても地域のニーズを理解して行えればそれは地域医療になるのでしょう。
医師がいない離島ですべてを1人の医師で解決しようとしたドクターコトーももちろん地域医療。
都会でその土地のニーズにあわせた高度医療を行うのも地域医療。
縁もゆかりもない土地、海外で行う医療も地域のニーズが理解できれば地域医療。
そう考えてたときに頭に浮かぶのが先日亡くなられた中村哲医師です。
ご存じの方も多いと思いますが、アフガニスタンの医療に従事され、実際に現地で生活する中で干ばつで綺麗な水がなく命を奪われる姿をたくさん目の当たりにし、
「100の診療所より1つの井戸」がアフガニスタンに必要であることを医師の立場からみつけ行動に移しました。その他にも住民目線で、決して医療にとどまらず地域や命と向き合った中村哲先生の医療は、究極の地域医療の姿のように思えます。
亡くなられる前にお話しを聞きたかった1人です。
おいしい寿司をテイクアウトしてつまみながら、
決して難しい話だけでなく、くだらない話も交えながら(そっちがメイン?)とてもいい時間が過ごせました。
このご時世、人が少ないのは良くも悪くもありますが、離島の夏を楽しんでいます。
ちらほら日本各地の離島でも新型コロナが猛威をふるい始めています。間違いなく東京のそれよりも壊滅的に、へき地の平和な景色を一変させます。
今に始まったことではありませんが、コロナに関しても日本全国統一というより地域のニーズにあわせた医療・経済政策が必要だと感じる今日この頃です。