DrIWAの日記

医療や地域や人や趣味について。日々わくわくすることを探しています。日々の記録として書いていきます。

「地域医療とは…」

「地域医療とは…」

 7月18日にゲネプロのワークショップがオンラインで開催されました。

全国のへき地に散らばる医師たちが参加して、今回は主に整形外科・産婦人科・麻酔科・在宅医療についての学習でした。会の終わりにはオンラインでの懇親会もあり、それぞれの現状や今後についてお酒も交えながら語らうなどとても充実したものになりました。

 

その中で各医師に投げかけられた質問。

一言でいうと、「地域医療とは…?」

 

 幼い頃から憧れてきた地域医療ですが、正直なところ、歳を重ねて勉強や経験を重ねていくほどその実態が何なのかよくわからなくなってきていました。

研修医を終える頃の当時、自分が想像する「地域医療」に一番近そうだった救急医を選択しました。もちろん地域医療を感じることもたくさんありましたが、地域医療とは言えない救急医療もたくさん目にしました。

場所もそうです。へき地で行う医療に地域医療を感じないこともあれば、都市部で地域医療を感じることもありました。

そんな違和感は歳を重ねる毎に増えていきましたが、明確な答えは出ないままでした。

そんな私にとってこの質問は、まさに核心をつくものでした。

 

みんなでそれぞれの意見や思いを語り合う中でたくさんの考えを聞くことができました。答えは一つではないと思いますが、その中で私が一番しっくりきたものが、

「究極の当事者意識で行う医療」という答えでした。

 

 

 

究極の当事者意識から生まれてくるもの

患者、地域住民のことをとことん考え尽くして、

医療提供者がその地域の一住民として『究極の当事者意識』で行う医療。

とてもしっくりきます。

 

 

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私がこれまで漠然と追いかけていた地域医療はただの言葉だったのかもしれません。

バガボンド柳生石舟斎の言葉を借りれば。笑)

 

私は救急医療は地域医療だと思っていましたが、救急医に地域のニーズを考える意識がなければそれは地域医療ではありません。

総合診療も内科も外科もすべての科がそうであり、逆にどんな診療科であっても地域のニーズを理解して行えればそれは地域医療になるのでしょう。

 

医師がいない離島ですべてを1人の医師で解決しようとしたドクターコトーももちろん地域医療。

都会でその土地のニーズにあわせた高度医療を行うのも地域医療。

縁もゆかりもない土地、海外で行う医療も地域のニーズが理解できれば地域医療。

 

そう考えてたときに頭に浮かぶのが先日亡くなられた中村哲医師です。

ご存じの方も多いと思いますが、アフガニスタンの医療に従事され、実際に現地で生活する中で干ばつで綺麗な水がなく命を奪われる姿をたくさん目の当たりにし、

「100の診療所より1つの井戸」がアフガニスタンに必要であることを医師の立場からみつけ行動に移しました。その他にも住民目線で、決して医療にとどまらず地域や命と向き合った中村哲先生の医療は、究極の地域医療の姿のように思えます。

亡くなられる前にお話しを聞きたかった1人です。

 

 

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 おいしい寿司をテイクアウトしてつまみながら、

決して難しい話だけでなく、くだらない話も交えながら(そっちがメイン?)とてもいい時間が過ごせました。

 

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このご時世、人が少ないのは良くも悪くもありますが、離島の夏を楽しんでいます。

ちらほら日本各地の離島でも新型コロナが猛威をふるい始めています。間違いなく東京のそれよりも壊滅的に、へき地の平和な景色を一変させます。

 

今に始まったことではありませんが、コロナに関しても日本全国統一というより地域のニーズにあわせた医療・経済政策が必要だと感じる今日この頃です。