魔法の言葉
気づけば12月
早いもので師走です。
季節に敏感でいれるように生きてきたつもりですが、今年の新型コロナにはどうも調子を狂わされます。
季節の行事や交流がほとんどないまま季節が変わり、気づけば12月も終盤に。
夢見るとかそんな暇もないこの頃です。
とりあえず年賀状写真を急いで撮り、なんとかポストに投函してきました。
今年起こった世の中の悪いこと、我が家の年賀状作りが遅れたことも、きっと全てコロナのせいとして、2021年を明るく迎えたいと思います。
育児は育自
12月は病院も家庭もバタバタする時期。子供たちも冬休みにクリスマス、大晦日に来る新年と落ち着かない日々です。遊び盛りの三兄弟がいる我が家も例外ではなく、子供たちを注意する声がついつい大きくなってしまいます。
そんなこの時期(クリスマスがやってくるまでの1ヶ月間)に、毎年助けられるのが、
「サンタさんが見てるよ。」
という魔法の言葉です。
きっとこの時期の世界月間パワーワードランキングで数十年連続1位をとっている言葉です。本当に不思議ですが、理性を失って暴れ回るこどもも、この一言で正気を取り戻します。
今年もこの言葉を多投し過ぎた感は否めませんが、そのおかげもあり我が家のよい子たちにもサンタさんがプレゼントと笑顔をもってきてくれました。サンタ業務も無事に終え12月25日の朝は家族みんなで至福の時。大人になってしまった私にとっても子供の頃から変わらぬ幸せな時間でした。
ただクリスマスを過ぎると魔法の言葉は効力を失い、子どもたちのサンタへの畏敬の念と善行が影を潜めてしまうのは残念な限り。
「継続する事」が大切なんだぞど伝えてはみるものの、喉元過ぎればなんとやらです。
子育ての難しさを考えながら物思いにふけっていましたが、そういえば自分もブログを書いてなかったことに気づき久々の投稿に至ります。
『育児は育自』 。日々精進です。
がれきそのものが黄金の仮装であったことを見破る者は詩人である
茶道の精神
妻が茶道に興味があるとオーストラリア人の友人に話すと茶道教室を紹介してくれました。
そんな経緯で先週末はみんなで初の茶道教室となりました。
私と子供達は抹茶と茶菓子のお裾分けがもらえるといいな、という下心で妻に付き添いです。
もう定年退職されたご夫婦が指導をしてくれました。
「ここで過ごす時間は日常の息抜きと思ってください」と最初に奥さんから笑顔で声をかけられます。道具の準備をしながら、茶道についての説明です。
茶道とは気遣いの場であると。
茶を煎れる人は、もてなされる人に気を遣い、
もてなされる人は、煎れる人に気を遣う。
その気遣いが茶道特有の言葉や、茶碗を回す行為、その他一つ一つの所作に表れているそうです。大切なのは所作ではなくその理由だと。
一見、お茶とは関係なくみえる掛け軸や室内の置物、それらも含めて空間を構成する全てがお茶を飲む人に対する気遣いであることも知っておいてください、と。
なるほど、説明を聞きながらその奥深さに圧倒されていると、隣に座っていたオーストラリアの友人が、
「お点前頂戴いたします」ととても綺麗な日本語をつかい、美しい所作でお茶を飲み始めました。師範のご夫婦はそれをとても嬉しそうな笑顔で見守ります。
茶菓子目当てに来た事が急に恥ずかしくなりました。
介護は茶道のような気遣いで成立していたらしい
師範をされている奥様は以前この離島で福祉の仕事をされていたそうです。
その頃は介護保険制度もなく、高齢者がお風呂に入らなくなったり、買い物に行けなくなったりすると親戚や近所の人たちが分担してサポートしていたとのこと。「いつかは自分も介護される側に回る」「今まで世話してくれた人へのお返し」そんな気持ちで介護が成り立っていたのだと。
介護制度が整ってとても便利になったが、近所や親戚付き合い、挨拶や井戸端会議を通してのお互いのお気遣いが減ってることが心配だと、これまた優しい目で話されます。
介護保険以前を知らない医師の私にはとても興味深い話でした。
よくできたシステムは物事に普遍性、持続性を与え脚光を浴びますが、その光が見えにくくすることもあります。
『道端のがれきの中から黄金を拾い出すというよりも、むしろがれきそのものが黄金の仮装であったことを見破る者は詩人である』
中学の頃、強制的な読書の時間で読んでいた高村光太郎の詩集の言葉を思い出しました。日本の義務教育も捨てたもんじゃないと思いました。
最新版発表!AHAガイドライン2020
5年ごとにアップデートされる心肺蘇生法
心肺蘇生のやり方が5年毎に変わっている事を知っていますか?
医師、看護師、救命士などの医療者はもちろん、それ以外の方でも心肺蘇生講習を受けた事がある人は多いと思いますが5年毎にそれを完璧にアップデートできている人はかなり少数です。
医師の中でも、日常的に心肺蘇生を行う救急医以外ではなかなか知識の整理が追いつかないというのが実情ではないでしょうか?
今年2020年は、世界中の心肺蘇生マニアがソワソワする5年に1度のガイドライン改定年です。
私もそのマニアの1人です。
世界同日発表となった10月21日、まるで流行に乗って『鬼滅の刃』の第一巻を開く時のような心境でガイドラインに目を通しました。
感動のAHAガイドライン2020
総じてクオリティの高い内容でした。
細かく見ていくとキリがないのですが、1番感動したのは「蘇生後のアプローチ」の図です。
(ガイドラインに対して感動という言葉が適切なのかわかりませんが。笑)
このシンプルさ!見やすさ!誰でもやれそう感!
蘇生後の治療・管理を経験した方なら共感頂けると思うのですが、心肺停止診療は蘇生してからが大変です。患者への治療も家族へのケアも、それはそれは気をすり減らすものになります。そんな時に医療者をピンポイントで助けてくれるような、そんなガイドラインです。
価値を高めるまとまり方
どんなに素晴らしい医者も、たくさんの人が診てもらいたいと思わなければ価値がでず。。。
どんなに素晴らしいワクチンも、たくさんの人が打とうと思わなければ価値がでず。。。
どんなに素晴らしい医学研究も、たくさんの人が興味を持たなければ価値がでず。。。
そんな意味で、今すぐ使ってみたい!と思わせるこのガイドラインの作り込みは感動ものでした。
親切な事に、英語だけでなく日本語でも読めますのでお時間があれば、ぜひご一読を。
【現代版】へき地で働く医師に必要なもの
今週のウェビナーは高知県の大井田病院でRGPJ4期生として勤務する西津先生から、プライマリケア領域で必要な外科的皮膚処置(陥入爪・抜爪、ケロイド、褥瘡、粉瘤など)とレジリエンスの高め方、についてのレクチャーでした。
ゲネプロでのRGPJ研修も6カ月が過ぎました。
新型コロナの影響で海外研修が不透明な状況になったり、離島へき地という特殊な環境での生活だったりで、全国に散らばった研修生はそれぞれが知らず知らずの間に疲れやストレスがでてくる時期です。
私も、何かこれといった難題に直面しているわけではないのですが、疲れが取れにくかったり、些細なことにもやもやしたりと、まさにそんな時期でした。
全国のへき地で奮闘する仲間たちと常に繋がって、今の状況や悩み、その対処法を共有できるゲネプロのシステムの有難みを身をもって感じるウェビナーでした。
レジリエンスという能力
レジリエンス(resilience):
社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される。自己に不利な状況、あるいはストレスとは、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る。
(Wikipediaより)
社会で生きていくなかで非常に重要な能力です。
離島や僻地で働く医師にとってもやはり重要な能力です。
多くの場合、都会に比べて医師一人が担うべき業務や責任、また生活負担は大きくなります。もちろん中にはへき地や離島の医療・生活環境の方がストレスを感じない医師もいるのでしょうが、間違いなくマイノリティーです。
『離島・へき地医療』の変化
ひと昔前までの『離島・へき地医療』は、
・離島やへき地の環境を苦としない圧倒的な臨床能力やレジリエンスを兼ね備えた少数の医師だけが
・それぞれの地域で、時に孤立しながらも
・一生を捧げて従事する
こんな感じでした。
現在の『離島・へき地医療』では、
・スーパードクターではなくても離島やへき地を支えたい気持ちのある医師が、
・遠く離れたへき地同士でも、繋がり、支えあいながら
・期間限定で(もちろん居心地がよければ長期で)従事する
こんな感じに変わってきています。
それは『離島・へき地医療』が遠い未来までも持続可能で、さらに発展していくために必要な変化です。
【現代版】へき地で働く医師に必要なもの
半年が過ぎて、なんとなく思うことがあります。
へき地で働く医師に必要なものはドクターコトーのようなスーパードクターの資質ではなく、離島・へき地医療への思いを繋げるシステムであり、サポートする教育体制のような気がする、ということです。
ひと昔前の『究極のへき地医療』は南極大陸でした。
最近の『究極のへき地医療』は火星(宇宙)らしいです。
そんな話を聞いてワクワクすることが自分のレジリエンス向上の鍵だとゲネプロにきて気づけました。
秋の天気とメンタルは不安定
死を選ぶ人たちにかける言葉
9月からは上五島病院での勤務が再開し1ヶ月が経過しました。すっかり季節は秋です。
医療職では、患者さんの疾患や症状から季節を感じる事がよくあります。
この1ヶ月は自殺企図の患者さんの対応をする事が多くありました(何故か私が当番の日によく来ます・・・)。メンタル関連の患者さんが増えるのは環境の変化が大きい春の印象でしたが、芸能界での自殺が多く取り上げられる最近のワイドショーやネットニュースの影響もあるのでしょうか、この秋はいつもより多い気がしています。
私はこれまで救急医として多くの自殺患者をみてきました。
助からない症例も多く、残された家族や友人の悲痛な叫びはいつまでも忘れられないものですが、それ以上に辛いのは、救命した患者さんからの「死にたかったのに、なんで助けたの!?」という言葉です。
いまだにこの言葉は、返答に困ってしまいます。
命は大切なもの、
医師は命を救うもの、
そんな言葉は何の解決にもなりません。
ひとまず私は、
「もう一度ゆっくり考える時間を作ってみましょう」
と伝えるようにしています。
もう十分すぎるほど悩んで死を選んだのであろう人にも、ひとまず同じ言葉をかけます。
自宅や病院で家族に囲まれて迎える死も、自殺という形で迎える死も、どちらも自分で(もしくは家族が)悩んだ末に選んだものです。そこに他人である医師や看護師、ワイドショーのコメンテーターがこうあるべきだなどと語るのには違和感を感じてしまいます。
ただ、終末期の患者さんにも自殺を考える人たちにも、一医師としてまた一人間として人生がこうあってほしいという理想は持ち続けたいと思います。
中秋の名月
救急患者の対応が終わり深夜1時頃に帰宅すると、こどもたちを寝かしつけてそのまま寝落ちしていた妻が起きてきました。
お互いすぐには寝れそうになかったので、二人でベランダで月見をしました。前に妻と月見をしたのは大学生の頃だったので、十数年ぶりです。
「いつも子育てで頼らせてもらってすいません。感謝しています。」という言葉は恥ずかしいので、
夏目漱石が(月が綺麗ですね)、というようなニュアンスで、
「大学生の頃より団子が柔らかくてうまい。」と伝えると
「せやろ!?」と短い関西弁とドヤ顔が帰ってきました。妻のメンタルは大丈夫そうと判断しています。
風流な時間でした。
シームレスな医療と、シームレスな父親業
『シームレスな医療』とは何か
今週のウェビナーは同じ上五島病院、整形外科で研修中の先生からのレクチャーでした。
骨折初期治療のその先まで、という事で
・大腿骨頸部、転子部、骨幹部骨折
・橈骨遠位端骨折
・膝蓋骨骨折
・脛腓骨骨折
などを主な術式、その後の社会復帰、外来フォローまでを含めて勉強しました。
ざっくりとした印象ですが、
救急医は急性期を過ぎたフォローに苦手意識があったり、
内科医は外傷に苦手意識があったり、
総合診療医は施設差が大きかったり、処置や手技に苦手意識があったり、と。
最近は医師募集で、『シームレスな診療』を謳い文句にする病院も多く目にしますが、本当の意味での『シームレスな医療』を学ぶ場はなかなか少ないのかもしれません。
大きな病院ではなく、離島にいるからこそ感じれる『シームレスな医療』の大切さ。
ぜひ若い研修医や専攻医にも感じて欲しいなと。そんな事を考えてると、なんか自分も歳をとってきたなと思ってしまいます。
秋はキャンプ。こどもの成長、あはれなり。
朝夕はめっきり涼しくなり秋が訪れました。
待望のキャンプシーズン到来です。
五島の自然を満喫できています。
三男は0歳の頃からキャンプに連れ回していた効果か、自然の中でもたくましく生活ができています。
長男、次男も率先して自分の仕事を探したり、(以前に比べると)協調性が出てきたりと、家では気付かなかった成長を感じる事ができました。
日常生活では、片付けや皿洗いを「専門外」と決め付けて手出しを控えがちな、言わば『シームレスではない』父親ですが、
キャンプは私にとって、テント設営、料理、片付けから怪我の手当てまで、父親としての良き姿を子供達に刷り込む貴重な機会となっています。
人は、『場所』に集まるのではなく『人』に集まる。
奈留島での最終日 ~私服で家庭訪問~
最後の日は白衣ではなく、私服で患者さん達のお家を回ってみました。
天気も良かったので自転車を借りて島を巡りながら。
島には集落が点在しており、走行距離約30 kmの家庭訪問です。
息子さんと2人暮らしのおばあちゃんのお宅での話です。
ガラガラっと玄関をあけて・・・(基本的に家に鍵はかかってません)
私
「こんにちはー、奈留病院の岩谷です!」
遠くから息子さんが
「今日は診察頼んどらんよー!」
私
「今日は診察じゃなくて遊びに来ましたー」
また遠くから息子さんが
「そうかそうか、今は手が離せんから婆さんの部屋まで勝手に上がってー!」
不思議と白衣を着ずに行う会話は、いつもよりお互い口数が多くなります。診察室や聴診器を持った往診では聞けなかった、患者さんの生活やこれまでの人生が垣間見えます。
しばらく談笑をしていると、おばさあさんが
「最後だから一緒に写真を撮ろう」と言ってくれました。
(許可を頂き掲載)
90年間、島で暮らす理由
一緒に撮った写真を見て、
「私も歳をとったねー。久しぶりに自分の顔を見たよ。90年も生きてるからねー。」
話の途中で台所の方から香ばしく干物が焼ける匂いがしてきます。あたかも故郷の島の昼下がりに自分がいるような錯覚に陥りながら、おばあさんの心地よい声も合わさり、至福の時は続きます。
「私は90年この島にいるけど、もちろん島も好きだけどそれが理由じゃないんですよ。住んでる人が良いからここを離れられないんです。先生はそんな人になってね。」
はっとさせられました。
診察するときは『認知症の検査しとかなきゃなー』と考えていた患者さんからの一言。
医師と患者という立場でしか話をしてなかったのに、私はその人の全てを知っているような気になっていたのかもしれません。私より60年近く人生を長く生きている大先輩からの言葉は胸に突き刺さります。
お土産に干物をもらい、心からのお礼を言いサイクリングを続けます。
訪問診療や外来でしか会わなかった患者さんたちと、短い時間ではありましたが一島民として話をすることができました。
ママチャリをこぎながら、禁煙を頑張っていると信じてた患者さんの喫煙現場を見つけてしまったりもしましたが、総じて非常にいい島巡りでした。
人は、『場所』に集まるのではなく『人』に集まる。
気づけば日も暮れて体力も底をつきました。
最後の晩餐は奈留島滞在中に非常にお世話になった近所の居酒屋です。
すると、頼んでもいないのに大量の刺身盛り合わせが…
「先生、2ヶ月お疲れ様でした!」
こういうことか。
こんなに優しくしてくれる人達がいるから、この場所を好きになる。
人は、『場所』に集まるのではなく『人』に集まる。
最近、納得させられた言葉です。
そういう者に私はなりたい。